(株)陽だまりハウスの歴史② ~お客様を大切に!~

2021/01/14(木) 家づくりのこと

こんにちは、(株)陽だまりハウス

三代目大工棟梁の小山です!

前回の歴史①では、

私の祖父が宮大工として創業をした歴史をお伝えしました。

 今日は、(株)陽だまりハウスの歴史②

お客様を大切に!~ をお伝えします。

弊社二代目代表は私の父です。

(↓↓↓ 父が30代の頃の写真です。昭和50年代)

9人兄弟の6番目、次男という立場でしたが、

父は大家族を支えるために

小学生の頃から農作業や建築現場の手伝いをしていました。

宮大工で厳格な祖父と、

お調子者で人から可愛がってもらえる父。

親子でありながら正反対の性格でした(笑)

父は15歳を超えた頃になると、

よく祖父と対立するようになっていきます。

職人気質の祖父は厳しく育てますが、

それに反抗する父。

親子戦争が勃発する日々。

そんなストレスを発散させるかのように、

バイクを乗り回していた時代があったようです。

当時はカミナリ族と言われ、

バリバリとバイクを走行をしていたようです。

(現在でいうところの暴走族ですね)(笑)。

バイクでヤンチャをしているかと思えば、

『時代劇の役者になりたい!』と言って

役者を目指して東京に行きます。

周りの人たちからは可愛がられたようですが、

刀で切られる役(切られ役)ばかりで出世する事はありませんでした(笑)

私が東映太秦映画村で毎年扮装しているのは

父の影響だと思われます。

(左:妻の志穂 ・ 右:三代目大工棟梁の小山)

夢を諦め京都に戻ってきた20歳の時に結婚。

(20歳の父と母 昭和40年)

4人の子どもに恵まれます。

男・男・女・男。私は4番目の三男です。

(長男と次男誕生 昭和42年)

(まだ私は生まれていません)

父は本格的に建築の修行をするために

建設会社で現場監督として働きます。

(昭和45年頃)

20代のサラリーマンで4人の子どもを育てるのは大変だったと思います。

よく会社の社長から

『子供たちに土産でも買ってやれ!』と金一封をもらったそうです。

仕事でも、分譲地の区画整理から、家の建築アフターフォローまで

一貫してさまざまな経験を積ませてもらいました。

また、会社の宴会の席では幹事に指名され、

宴会部長としてみんなを楽しませていました。

♬おなじアホなら踊らにゃそん、そん~♪

こんな経験が独立後にとても役に立ったと言って、

社長をはじめ、皆さんに感謝していると良く聞かされました。

第一次・第二次オイルショックの影響もあって、

勤めていた会社が苦しくなると、

思い切って独立をして一匹狼で工務店業を始めます。

景気が悪い中に独立をして、4人の子どもを食わせるのは

かなりの苦労だったことでしょう。

自分でチラシを作って、親戚、友人、知人、PTAの仲間にも配って

どうにかこうにか仕事を受注していました。

この一番苦しかった時に仕事を依頼してくださったお客様や

助けてくれた人達のことは一生忘れません。

人の繋がり、『義理人情』は大切にしていこう!

『お客様を大切にして長いお付き合いをしよう!』

困難の中から人生の宝を見つけたのでした!

時代はバブル景気へ突入!

昭和60年頃から仕事も大忙しの日々!

さて、続きは明日のお楽しみ。

 

 

 

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